メールくれた方、コメントで心配してくれた方、どうも有難うございます。
大丈夫じゃないけど、まぁ生きてます(笑)
昔は、ほぼ同じケースで本気で自殺を決行しようとしたことを考えると、人間的に成長したのかもしれない…とか今ぼんやりと思いました。
(あれですよ、泣きながら遺書書いて学校行って、んで「さよなら」を言おうと隣のクラスに言って、でも言葉が出てこなくて泣き出しちゃって……びっくりした友人に止められて決行するのをやめたとかいう。たまに出てくるエピソードでございますね)
あー、でも面白かったのはコメントとかメールくれた人たちの反応とか感じてたこととかがみんな似てたことかも。
気づかないのは「舞台の役者」だけなんだなぁって思ったりも。不思議だよね。
閉鎖及び移転については前々から「なんでしないの?」と言われていたくらいだったのだけれど、
「執行猶予」と書いた通りに、ひょっとしたら……なんとかなるかもしれないと思ってたんです。
もう5月で新歓の仕事は収束していたから。
今我慢してれば、この場所を捨てなくてもいいかな、と思ってたのです。
……1月からだから4ヶ月か、それでもいろんなことがあって、前の跡地に比べるとだいぶ落ち着いた精神状態を維持できてたし、自分の中で「好きな自分」を記せてた場所だったし。忙しくて、でも毎日が楽しくて……凄くイイ感じの日常を積み重ねていけてたんじゃないのかな、と思ってたので。(前の跡地は、見るのさえも苦しくて振り返ることが出来ない)
だから、捨てたくなかった。……その4ヶ月の自分を否定するみたいで。
私は日記を書いてもう7年にもなるけれど、……なるべく毎日日記を書いているのは、流れていく日常とか些細なことが積み重なって「今の私」を形成しているのに、その些細な事を忘れていってしまうのが切なくて悲しいことだと思っているからです。
別に私はmixiみたいに誰かと繋がりたくて、反応が欲しくて日記を書いてるんじゃない。特に人数が多すぎて希薄な友人も多い今は…それは私にとっては他人と変わらない。
少しの時間が経った時に、または何年後かに……この時の自分がこういうことを感じてたんだなぁって思えることに意味があると思っているから。
どんなに覚えていられるとしても、物事に付随する感情は、一番最後のモノに更新されてしまう、気がします。
例えば、大失恋をしたら…何年後かにその恋愛のことを思い出しても、悲しみとかあるいは憎しみしかもう思い出せないと思うんです。何かプラスの感情を思い出してももうそれは「失恋」という物事がベースになって、感情が上書きされてしまう。
でも、本当はそんな未来が待ってるとはしらなかった自分の…恋が叶った時のどうにもならない歓びとか、きらきらした日常とか、相手の言葉一つで舞い上がってた自分とかも確かに存在していたはずで、それはその「一瞬の感情」を保存しておく必要があって……私のとっての日記というのはそのための装置、だったりします。
別にそこに記憶される物事はそんな大きな物事である必要はなくて、風が冷たかったこと、月が綺麗だったこと、そんなことで十分。…そうしておけば、その時の感情が手触りを持って再生されるから。私は日記を書くことですら、それをする術を知らない。
日記は、そうやって積み重ねた「わたし」そのものだったりします。私の人生そのもので、それはつまり「わたし」のソフトだから。ハードが何であれ、その日記を読み込ませれば「わたし」が再生されるように。
でも一度だけ、それが全否定されたことがあって……目の前が真っ白になる感覚というのを初めて知りました。やけに冷静にそれを感じたことを今も覚えています。そこから記憶がもう無くて、次に思い出せるのは、書き上げた手紙を机の中にしまっているシーン。
私にとって日記というものはそういうものでした。
記憶装置で、一番傍に居る友人で、私を一番よく知っているもの。
それを「ブログ」という形で公開する様になってからは少しずつ意味は変わって行ったけれど記憶装置という役割はずっと変わらない。
こんなことがあっても「日記を書くことをやめられない」のは、そういう理由だからです。
こうしている間にも時間は流れて、日常は重なり合って、「わたし」は作られていくからです。
こんな風になりたくなかった。
サインは出してたはずだったけれど。
……でも非情になりきれなかった。私が我慢すればやり過ごせるかな、と思ってたこともあったので。
ああ、でも……今回ので色んなヒトにコメント貰ったりして、私が思ってた以上に周りにも我慢…じゃないにせよ、マイナスの感情を強いてたようで少しだけ後悔しました。私がもっとはっきり早く決断していればよかったのかな、と思ったりもして。
パスワードをかけることを提案されたりもしたけれど、私の知らない「誰か」を排除したくは無かったので……余りしたくなかったのですけど、そうも言ってられないのかな、と思ってます。
ちょうどKTDでも似たようなことになってたり(ほーんと姉妹ブログよね!笑)それと、mrdの25日の内容/コメントのやりとりとか見て……なんだか変わらない友情、っていうのは変だけど……ひととの繋がりってモノに対してとてもとても嬉しくなったり、混乱したり。
いいたいこと、纏められなかったけど。……きっと無意識に比較して、救われた。私には彼女達がいるのだなと思って。
もう日常的なこととかは投稿しません。これから投稿するのはご挨拶及び連絡周りのみになるかと思います。
それと過去の記事を全て非公開にしました。今残ってるのは炎上記事から時系列順に5つ。(一つ抜きましたが。最新3つにしてたのですが事情がわからなくなるので)
私自身が振り返るのに、ログインしなきゃ見れないなんてなんて、なんて不便なのかしら。
悲しくは不思議と無かった。憎くはあった。
ただ、不愉快で。
4年ぶりに味わった空白の感覚
「心が折れ」たら確かに世界の色は真っ白になるだろう、と今ならわかる。